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嫌われる勇気を読んでみました「アドラー心理学」

ブームは過ぎ去った感がありますが「嫌われる勇気」を読んでみました。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

腹に落ちたところをまとめておきます。
 
 
まず、大前提として、

「人間のすべての悩みは人間関係の悩みである」

というのが定義されてます。
 
 

 ① 課題の分離をする事が重要

 

自分の課題と他者の課題とをしっかり見極めること。
「親から勉強しろと口酸っぱく言われる。」
「仕事で上司から罵倒される。」
「友人からイライラをぶつけられる。」
「部下から生意気な口をきかれる。」
これらはすべて他者の課題であり、自分の課題ではない。なので反応的になってはいけない。
 
「他者の課題は切り捨てること。」
 
言い換えると、他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きよう、ということ。
他人を気にし過ぎないということ。他人は自分が思っている程、他者に関心を持っていない。変なプライドを持っていると自意識過剰になり他人の目が気になってしょうがない。言ってあげたい。→「誰も見ていないよ。」
 
これを自分なりに解釈すると、「七つの習慣」に出てくる、影響の輪と関心の輪と同じだと思う。自分でコントロールできない事は放っておいて、自分でコントロールできる事だけにフォーカスして、それだけを一生懸命実行する!
 
 

②過去や未来にとらわれることなく、今ここを真剣に生きろ

 

ホリエモンの考え方と同じ。人生の設計図を書くのではなく、目の前のことを一生懸命やる。その積み重ねが結果的に未来となる。
これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響も無い。
 
 

③原因論ではなく、目的論

 

今うだつが上がらないのは生まれ育った環境や、努力して来なかった自分に原因がある。これが原因論。そうではなく、うだつが上がらない自分になるために自分は努力して来なかった。これが目的論。
この原因論と目的論は、会社内の人を見ていると腑に落ちるところがある。何だかツイていない人は、自分のことをなんとなくネガティヴに捉えてて、不幸な自分、ツイてない自分に仕立て上げているように映る。ツイている人を妬んでしまう。しかも自分がついてた時にも何だかあまのじゃくに捉えてしまう。喜んではいけない、笑ってはいけないと思いこんでしまう。仕事中の僕も若干そんな時がある。気をつけよう。笑いたい時は笑い、楽しんで良いんだ。
 
大きな視点で考えると、自分の人生は絶対に良くなる。楽しい未来が待っていると信じられるかどうか。もっと言えば、「いまここを楽しんでいられるか。」これが原因論ではなく目的論の本質だと思う。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能である。人生は線でとらえるのではなく、点の連続である。連続する刹那。
 

④まとめ

 

他者貢献を自分で感じながら、かつ他者の評価を気にすることなく生きることが「自由」と定義されている。他者に認めてもらいたい、褒めてもらいたいという承認欲求は捨てること。
変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。結局人はどちらかを選択しているに過ぎない。
 
「行動面の目標」
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
 
「この行動を支える心理面の目標」
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識
 
 
そんなに「嫌われる」ことばかりではなく、他者貢献を感じることが重要だと提唱されていたり、もっとわがままに生きて良いと言っていたり、地球上の人々は私の仲間であると言っていたり、なかなか理解が難しい部分はありますが、トータル的には良書だと思いました。もし他人の人生を生きているのでは?と感じる方は必読です!
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え